古典文学の冒頭を読む。②『平家物語』
さて、冒頭シリーズ第二弾は『平家物語』です。
『平家物語』は鎌倉時代に成立(したとされる)、平家の姿を描いた軍記物語です。
この作品の成立年代は定かではなく、少なくとも延慶2年(1309年)ごろには成立していたとされます。また、『方丈記』から引用された表現が見えることから、健暦2年(1212年)以降に書かれたものということもほぼ確実です。また、作者も定まってはいません。内容は、平家の栄華から没落まで、勢いを失っていく平安武士たちと新たに勢力を増す武士たちの姿を美麗な文で書き綴ったものです。冒頭部分はあまりにも有名ですが、とりあえず見ていきましょう。
*原文
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけきものも遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。
*現代語訳
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常、つまりこの世全ての現象は絶えず変化するものという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いのある者も必ず衰えるという真理を表している。
世が栄えて得意になっている者も、いつまでもその栄華は続かず、
まるで春の夜の夢のようである。
激しく盛んな者も最後には滅び、
風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
古文単語#4
今回の古文単語:ときめく(時めく)
意味:①寵愛を受ける②よい時機に乗って栄える
連続投稿になりましたが、4回目は「ときめく」です。
現代の意味においては「喜び・期待などで胸がわくわくする」といった意味で使用されていますが、古文での意味は、目をかけられたり、時代の流れに乗って、とにかくもてはやされるイメージです。古文での意味に注意しましょう。ちなみに、「ときめかす」となった場合は「寵愛する」という主体的な動詞に変わります。
例文
「いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。」(源氏物語)
「大して高貴な身分ではない方で、格別に(帝の)寵愛を受けなさっている方がいた。」
古典文学の冒頭を読む。①『古事記』
こんばんは。大学の関係で更新するのが毎度夜になってしまいます。なんとかできないかなぁ…。
今回から何回かに分けて、「古典文学の冒頭を読む」と題し、有名な古典文学作品の冒頭およびその周辺を紹介・解説していきたいと思います。特に大学受験を控える高校生に関しては、国語の二次試験等で問われる場合も少なくありませんので、覚えておいて損はないと思います。
早速ですが、本題に入りましょう。今回は『古事記』です。
…さきほど「二次試験等で出る」という話をしたばかりで申し訳ありませんが、『古事記』関してはあまり試験等で問われることはありません。(この作品は漢文チックに漢字を羅列して書かれたもので、書き下し方も編集者によって大きく異なります。よって試験問題としては向いていないようです)予めご了承ください…。
『古事記』は和銅五年(712年)、女帝・元明天皇の勅命により編纂されました。撰録者は時のすぐれた学者官僚の太安万侶(おおのやすまろ)です。彼は漢文に精通しており、『古事記』序文からも高い文章表現力が見て取れます。
では、冒頭の部分を見てみましょう。(『序文』ではなく、『上巻』の冒頭を指します)
「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱(みはしら)の神は、並(みな)独神に成り坐(ま)して、身を隠したまひき。」(『古事記』角川ソフィア文庫)
言葉の読み方も意味も相当難しいので、次に現代語訳を見てみましょう。
天と地が初めて分かれたとき、天上界の高天の原に現れた神は、天の中心を占める最高神アメノミナカヌシ、次に天上界の創造神タカミムスヒ、地上界の創造神カミムスヒである。此の三神はいずれも無性の単独神で、目に見える身体を持たなかった。(同上)
恐らく皆さんが持つ、『古事記』に出てくる神様のイメージは「伊耶那岐命(イザナキ)」や「伊耶那美命(イザナミ)」、あるいは「天照大御神(アマテラス)」や「建速須佐之男命(スサノオ)」といったものだと思います。ですがこれらの神々はもう少し後になって出てくるもので、『古事記』自体のお話は、上述した、あまり聞き覚えの無い三柱の神から始まります。
この三神はいずれも無性(性別を持たない)であり、性愛を示す神は上に書いたイザナキやイザナミが挙げられます。(「イザ」は愛に誘うという意味で、「キ」「ミ」はそれぞれ「男」「女」を指します)
このように『古事記』の冒頭は、このように天と地が分かれ、天上界(高天原)に神々が誕生したという、創世記らしい書き出しです。この後の段ではイザナキとイザナミが国を産むシーンや、黄泉国(よみのくに)に行ってしまったイザナミをイザナキが追いかけるシーンなどが鮮明に描かれていきます。
特に私が好きなシーンとしては、イザナキが黄泉(死者の国)を見た穢れ・嗅いだ穢れを清めるために、目と鼻を洗う場面です。ここでは、左目を洗うとアマテラス、右目を洗うと月読命(ツクヨミ)、鼻を洗うとスサノオがそこから生まれるという、なんだかとんでもない展開が繰り広げられますが、私はこのシーンがとてもファンタジックで好きです。
なんだか本来の趣旨と話がずれましたね。『古事記』は奈良時代の作品で、文法・単語も奈良時代のものが用いられているため、私達が高校で習う平安時代基準の文法・単語ではなかなか読みづらいものですが、一度読むと非常に冒険味溢れる素晴しい作品です。
ぜひ一度、手に取ってみてはいかがでしょうか?
ハンサム単語帳
こんばんは。段々と新生活にも慣れてきましたので、ゆっくり投稿していきます。
さて、今日は「ハンサム単語帳」と銘打ち、"読めるとハンサム"な、すこし見慣れない熟語を紹介していこうかと思います。設問形式で進めますので、何問読めるか挑戦してみるのもいいと思います。ではどうぞ。
問題編
1.鼎談
2.玄人跣
3.扈従
4.豁然
5.阿諛
解答編
1.鼎談=ていだん 意味:3人が向かい合って話す。
→鼎(てい)という字は「かなえ」とも読み、鍋のような胴体に足が3つついている、中国の古代に使用された器を指します。足が3つついている所から
3人が向かい合って話すという意味の熟語を生み出すあたりがとってもユニークです。ただ3人限定なので、使いどころが難しいですが…。
2.玄人跣=くろうとはだし 意味:素人の技量が専門家並みである。
→玄人(専門家)がはだしで逃げ出すほど、素人なのに能力があることをいいます。この熟語もなかなかユニークなので、さらっと使えると面白いですね。
3.扈従=こじゅう(こしょう) 意味:高貴な人のおともをすること、人。
→「扈」という字は「跋扈」という熟語で見た経験のある人が多いのではないでしょうか。「跋扈」の「扈」という字は「かご」「枠」といった意味で、「とびはねる」という意味の「跋」という字と合わせて「思いのままにのさばること」といった意味になりました。ただし、「扈従」の際の「扈」という字は「のさばる」「主君に付き従う」といった意味で使用されています。
4.豁然=かつぜん 意味:視界がぱっと開けること。
→物理的な視界においても、心理的な場合においても「ぱっと開ける」さまを表します。「豁」には「おおっぴろげなさま」という意味があり、「然」は「そのとおり」といった意味があるので、とにかくストンと落ちるようなさまが見て取れます。
5.阿諛=あゆ 意味:おべっかを言ってへつらう。
→魚ではありません。「阿」「諛」どちらも「おもねる」や「へつらう」という意味があるので、その通りの意味になったと言えます。それにしても、「諛」という単語は全く見慣れない単語ですね。「須臾」の「臾」という部分と似ているので、読み方は少し分かりやすいです。
《出典…『ことば選び実用辞典』(学研プラス)》
いかがでしたか?普段見慣れない単語も、味わってみると面白いものがあります。
余談ですが、今回出典に利用した『ことば選び実用辞典』はとても面白い辞書です。簡単な言葉(「嬉しい」や「願う」など)から、それに類する様々な熟語を引けるというものです。学研さんの回し者という訳ではありませんが、気になった方はぜひ書店で一読ください。
ではまた次でお会いしましょう。
お願いと、春。
こんにちは。
突然ですが、この頃寒くないですか…?
3月ごろになると「あれ、こんなに寒かったっけ?」と毎年のごとく思っているような気がします。殊に私は花粉の猛攻も相まって、1年でかなり暮らしにくい時期になっています…。
さて、世間話は一旦置いておき、近況です。
国語に関する思ったことを書きとめておきたいなあと考えて始めたこのブログですが、最近入学に関する手続きやらなにやらで、ほとんど更新できていません…。(まあ、特に誰かが見ているわけでもないので、ゆったりやっていけたらと考えていますが…)ですので万一見てくださっている方がいらっしゃるようでしたら、その辺りはご寛恕頂けると幸いです。
もうすぐ春ですから、温かい目で見守ってくださいね。
はい、言い訳です。
古文単語#2
今回の古文単語:ねんず
意味:①祈る。祈願する②我慢する。こらえる
2回目の古文単語シリーズは「ねんず」です。
現代語の「念じる」は、「あなたが健やかに育つように念じています」のように、「強く思う」という意味で使われています。「強く思う」というのは「強く祈る」とも言えるので、①の意味は理解しやすいでしょう。
また、「自分のことで祈る」場合は、「何かつらいことに耐え忍んでいる」という前提を見て取れるので、②の意味につながると考えれば、理解は容易なのではないでしょうか。